大根島と高麗人参の歴史

島根県の中海の北部よりに浮かぶ島、大根島は江戸時代から全国でも有数の漢方薬高麗人参の生産地です。
この高麗人参は、朝鮮や中国東北部の山林に自生していたウコギ科に属する多年草植物で、滋養強壮など万能薬ともいわれ、中国・韓国・朝鮮で4千年も前から用いられてきた生薬です。
日本に伝わったのは、739年に当時高麗人参が自生する地域を広く領有して栄えていた渤海国(698年~926年)の使者が、朝廷への献上品として持ち込まれたのが最初だと言われます。
以来、その薬効が広く知られるところとなり、交易品として国家財政を潤す程のものとなりました。
江戸時代になって、栽培が試みられるようになり、将軍吉宗の時代、1728年に日光御薬園で初めて成功しました。
幕府は各藩にもその種子を配布して(このため「御種人参」とも呼ばれた)栽培を奨励しました。

松江藩(島根県)でも藩営の人参畑を開墾するなど、生産に力を入れ、幕府から「朝鮮人参売座」が認可される程に繁盛しました。
今でも「人参方」という地名や当時の屋根型門構えの遺構が残っています。
大根島では藩直営の「御手畑」で天保年間(1830年~1843年)に栽培されるようになりました。
大根島は太古時代に四大名山の一つ大山(鳥取県・1729㍍)の噴火の時出来た島で、地味がミネラル分を豊富に含んだ火山灰の土質で、高麗人参の栽培に好適だったために、本場韓国産と似た、他の産地と比較にならない程良質の「雲州人参」として高値で取引される高麗人参を生産することができました。
大根島は水田が乏しく、藩にとっては年貢徴収が難しかったのですが、その代替として畑地の仕込み、小屋がけ、種まき、手入れ、採掘等の労務に島民を従事させ、生産された人参を藩に納入させました。
「御手畑」での栽培管理は、数名の選ばれた「御手人」によって行われ、一般には栽培・精製方法は極秘にされました。

明治維新になり廃藩置県で松江藩が廃止され、人参栽培は県の専売として続けられました。
しかし、大蔵省(現財務省)からの指令で、明治5年に民営化されました。
民営化された当初は商人数名が払い下げを受け、個人の独占的支配となりましたが、独占に対する反対が強くなり、明治7年以降島の住民の手による複数の人参会社が設立され、清国(現中国)に輸出するまでに盛んになりました。
一時日清戦争のため生産減を余儀なくされることもありましたが、明治31年(1898年)には雲州人参同業組合を設立させました。
このように大根島の住民が努力によって築き上げた大根島の高麗人参「雲州人参」の名声は、今も世界の一級品として認められています。

なお、高齢人参は連作が出来ないため、大根島では牡丹が輪作作物として栽培されたました。
牡丹も高麗人参と並んで、今では大根島の特産品として有名になっています。
トップに戻る